あんちぇいん

気弱なおっさんがネットの匿名性を良いことに、言いたいことを言い書きたいことを書く そんなブログだったよね

何かのせいにするのはとても簡単なことで

例えば私は物を片付ける、という事が出来ません。
これは私の両親がそろって物を片付ける、という事が出来ない人間だから、というのが原因のひとつだと私は考えています。
「出したらすぐ戻しなさい」といっているその本人が出したものを出しっぱなしにしているわけで、友人が家に来た際に最初に言った言葉は「この家は本来たんすの中とかにしまっておかなければいけないものが全部出ているな」で、私はそのとき初めて自分の家の環境が少しおかしいんだなということに気が付きました。
父親の車の中も非常に雑然としていて、雑誌や読みかけの新聞や、山登り用のシューズや小銭や本やなんやかんやが助手席に陣取っています。
両親そろってそんな調子ですから私に物を片付けるという回路がついていないのは仕方が無いことだと半ば諦めているのですが、しかし、それだけが全ての原因というわけでもなく、やはり現況は私がぐうたらな人間だからだろうと思ったりするわけです。なぜなら姉は同じ環境で育ったにもかかわらず、片づけが出来る人間だからです。
結局突き詰めていけば、環境のせいにしたところで、その環境に甘んじている自分自身の責任という事になるわけで。
また、出来ないなら出来ないなりに努力する、という事だって可能なわけです。例えば私は綺麗に物を片付ける代わりに極力いらないものを捨てることで物の絶対数を減らして片付いているように見せかけるという戦法を使っています。
同じように片付け出来ないことを親と兄弟のせいにして「散らかすのは親兄弟で私じゃない」とまで言っていた友人は、一人暮らしをはじめても相変わらず部屋は片付かないままで、それまで自分の部屋だけが散らかっていたのが住居単位で散らかってしまっています。

何を言いたいのかというと、何かのせいにするというのは簡単で楽なことなのですが、人のせいばかりにしていて、自己反省、自己改善に励まない人間は、いくら環境を変えたり、場所を移ったり、または原因としていたものを自分の周りから取り除いたりしてみても、結局は何も変わらないで同じ事を繰り返す、という事です。人のせいにしている事柄の大半は多分自分の責任も少しは関わっているはずです。相手のものの言い方が気に入らないのは自分の受け答えが悪いせいかもしれません、批判的なことばかり人に言われるのは、自分の日ごろの言動がおかしいからなのかもしれません。

人の権限で生かされているのではなく、自分の責任で生きているのであれば、疑うべきはまず自分です。