あんちぇいん

気弱なおっさんがネットの匿名性を良いことに、言いたいことを言い書きたいことを書く そんなブログだったよね

妖怪人間ベム

子供の頃大好きだったアニメです。
人間になりたいと願う妖怪が、人間を守るために妖怪たちと戦うという話です。
陰鬱な感じの作品カラーとジャジーな効果音が相まって、なんとも救いのない感じの作品になっていて素敵です。
しかも最終回は守ってきていた人間たちに焼き討ちにあって生きているのか死んでいるのかわからない、というような悲惨な終わり方だったような。今思うとよくトラウマにならなかったなと。

最近CATVでリメイクされているのを見たのですが、作品のカラーがやたらと明るくなっていて軽い作品になっていますね。
3体の妖怪人間はやたらと人間くさいし、人間が妖怪の存在を認知していて警察組織などが対策をとっているため、なんというか妖怪のおどろおどろしさが感じられないお話になってしまっています。
淡々と妖怪を退治していた前作と違って今回は話が進むうちに巨大な陰謀も出てきてラスボスもいて、という明快なRPGっぽいお話になっているのも一般受けを狙った結果なんでしょうね。
最終回も一応ハッピーエンドだし。

妖怪人間は人間形態の時は指五本になっているし(前作は3本)、家も持ってるし、人間の友達もいるし。
しかし何より驚いたのがベラが美人扱いになっていること。
しかもあのムチは男からの贈り物らしい。
ベラって妖怪界の研ナオコですよ?
それだけは無理があると思うんですけど。

調べるという作業

最近は検索すれば結構な情報が比較的容易に手に入る時代になりました。
これこそインターネットの恩恵の一つといえるでしょう。

ただ、それでもたまに、調べればすぐにわかることをやたらと質問している人というのを見かけます。

わからないことを人に聞くというのは確かに問題の効果的な解決方法の一つではありますが、その前に自分で調べられることを調べるというのは、質問する上での大前提だと思います。

よく「調べている時間がない」とか「わからないから仕方ない」ということを言い訳にする人がいますが、よく考えてもらいたいのは、誰だって時間は一日に24時間しかありませんし、誰だって最初は初心者でわからなかったんです。
24時間をどのように割り振るかはその人の自由ですし、それによって時間が足りなくなったとしてもそれはその人の都合です。時間が足りないから調べられないというのは単なる言い訳に過ぎません。
また、わからないということを理由にすぐに人に聞いていればいつまで経っても問題を自分で解決する事は出来ません。誰だって最初は初心者でした。だからといっていつまでも自分で調べないと、いつまでたっても初心者のままです。それではいつまで経ってもわからないままです。


また、忘れて欲しくないのは、質問された側もわからなければ、またわかっていても確認のために、質問のあった事柄について調べている可能性があるという事です。(中には調べない人もいますが)
つまり、相手の時間を自分の都合で浪費させているわけです。

そういう意識をきちんと持つようにすれば、ろくに調べもせずに思いついた事をすぐに質問する、という事は出来なくなるんじゃないでしょうか。
 
逆にいつまでもそういう態度では、相手に「なめてんのか」と思われても仕方ないように思います。
 
わからないことを質問すること自体は悪いことではありません。
でも、せめてgoogleである程度検索するとか自分なりに調べてみて、それでもわからなければ質問する、といった自助努力は必要だと思います。