あんちぇいん

気弱なおっさんがネットの匿名性を良いことに、言いたいことを言い書きたいことを書く そんなブログだったよね

それが一番正しいなんて思っちゃいない

自分の言動や行動を改めて見直してみると、どうやら私はある目的がはっきりとある場合、それを実現するために自分の考えうる中で最適な方法を選んで実行するようです。と、ここまでは誰でもそうなんでしょうけど、私の場合はその際にある程度までは相手に気を配るのですが、それ以降は・・・と言う感じ。
どういうことかというと、八方丸く収まる方法が無いのであれば、次善の策を躊躇無く(と人からは見えるらしい)選ぶという事で、つまり八方が無理なら七方、六方で丸く治めよう、という感じですか。
まぁ、今回の件、同期にも「何でお前はそんなに先輩を無視して自信満々に派遣の女の子を誘って帰れるんだ」とか言われたのですが、私としては実は自信満々などではなく、初対面の女性に「一緒に帰りましょうか」というだけでも結構勇気がいることだったり、ええ、私の勘違いで別に嫌がっているわけではなく断られたら格好悪いなとか、先輩も嫌だけどお前はもっと嫌なんだよとか言われても辛いなとか。もちろんその先輩に睨まれて仕事がやりづらくなるのも困るんだけど。しかしまぁ、そういうことで私自身がビクビクしながら相手を誘ったら相手も一緒に帰るとは言いづらいだろうし、あえて自信満々なふりして駅まで一緒に帰ったわけで。
もちろんそれが一番良い方法だとは思っていません。もっとうまいことやる人だったら先輩も諌め、場の雰囲気も壊さず、派遣の女の子にも嫌な思いをさせることなく飲み会を継続させる事だって出来るんだろうと思いますが、私には無理なんですよね、それは。今回の事だって多分派遣の女の子にしてみれば助かった、と思ったかもしれないですが、例えばその先輩にしてみれば腹立たしいことですし、他の人にしても女性が一人へって楽しくなくなってしまったかもしれない。
でもまぁ、その場で「お前良い加減にしろ」と怒鳴りつけるよりはよっぽど周囲への影響というか、撒き散らす負のエネルギーも少ないだろうなぁと思ったわけです。
まぁ、私の場合はいつだって自分のやってることが一番正しいなんて夢にも思ってないわけで、他にも色々と正しい方法ってあったんだろうけど、自分が行動する場合に一番自分に納得の行く方法がアレだったわけです。

で、こういうことばっかりやってると時々どっかで批判も受けますが、それも自分が納得した上での事だから仕方ないです。まぁ、目の前で立場の弱い人が引きつった笑いを浮かべているのを見過ごすことも出来なければ、泣きながらかかってきた友人の電話を「気のせいだ」と切り捨てることも、私には出来ないわけです。
人の受け取り方は様々ですから、多分世の中は私の見聞きしたままが真実ではないかもしれないということもわかっています。行動を起こす際の私自身が持っている情報がとんでもなく偏っているものかもしれない、という懸念はいつだってあります。私は自分の目や耳は、自分の感情どおりに物事を見聞きするので、一番信用できないんじゃないかと思っていますから。まぁ、だからこそ多くの事実を集めて判断するように心がけてはいるのですが。
それでも、私は身近な人が泣いている際に、何もしないで見守るだけよりは、何か行動を起こした方が自分に納得いくっていう、ただそれだけの話なんです。